> 1年を振り返って
2005年も間もなく終わりを迎えます。今年は色々なことがありある種、転機ともなる1年だった気がします。

私自身としては仕事に大きな変化がありました。これはもしかすると今後の私の生活に大きく影響するかもしれません。忙しくなり始めたのが5月。その頃からあからさまにブログへの投稿が少なくなり始めたのでよく分かります。5月、6月は特に死にそうになるほど忙しかったですね。

そんな忙しい毎日の中、突然起きた祖父の心臓発作。これが今年一年で一番大きい出来事で今後にも大きく影響する問題でしょう。元気だった頃の祖父は趣味で畑をやっていて、その日も朝畑に行ってきた帰りだったか、これから行こうとするところだったか、正確な事は覚えていませんが朝食をとっていた私に天気の話か何かをしたんですね。私自身疲れていたのもあったんでしょうね。それをめざましテレビを見ながら何となく流して返事した、それが祖父との最後のまともな会話でした。

通勤の電車の中で妹から携帯に電話が入ってきました。「おじいちゃんが倒れて救急車で運ばれた」。しばらく状況が飲み込めませんでした。さっき普通に話していたよなあ。母が病院についていき、妹も仕事で家にいない。祖母が家で一人待っている状態でした。そんな状態ですから仕事が手につかない。祖母の事が心配になり家に電話すると、祖母が泣きながら話している。気の強い祖母が泣いているのを聞いたのは初めてかも知れません。今でも耳に残っています。祖母を一人にしておけないなと思い、慌ててその日の分の仕事をこなし、無理を言って午前中で帰らせてもらいました。

家に帰って状況を聞いた後、病院に駆けつけました。祖父はICUにいました。危険な状態だと聞きました。私がついて1時間くらい経っていたでしょう。ですから最初に運ばれてからは6時間くらい経っていたのかもしれません。ICUの中にいる祖父に面会できました。意識がなく、体は硬直し、パンパンに腫れていた気がします。状況が思わしくないのは目に見えて分かりました。どうやら心臓発作から脳梗塞を引き起こしたか何かで、脳に血液が回らなくなった時間があったのです。救急隊員の方の処方が行われるまでにどのくらい時間があったかにより、状況が変わるだろうと言われました。

毎日、仕事が終わってから病院に行きました。基本的にICUに入ってくるような患者さんは尋常な状態ではありません。家族が集まって亡くなったときの話し合いをしている、そんな患者さんもいました。ICUで見かけた患者さんの中には実際に亡くなった方も何人かいたことと思います。祖父がICUに入って4、5日経った頃でしょう。祖父の意識は戻りました。体は動かないし、声もろくに出ない、でも祖父は生きていました。このときほど命の尊さを感じた事はそれまでなかったです。本当にうれしかった・・・。

それから6ヶ月経った今、祖父は凄まじい勢いで回復をして退院もし、今に至ります。ただ残念ながら入院前の祖父は帰ってきていません。祖父は脳に障害を持ってしまいました。いわゆる認知症というやつです。そもそも心臓の病気だったのに、脳に一番大きな問題を抱えてしまいました。体力は落ちてしまいました。それでも同年のご老人に比べれば遥かに元気なんだと思います。障害も残りませんでした。でも脳には大きな障害があるのです。基本的には記憶障害です。昔のドリフのコントで「飯はまだかね」なんて志村けんさんがやっているのがありましたが、あれ今では笑えません。本当にさっき起きた事を覚えていないのですから。

そして一番の問題が何十年か昔の自分に戻ってしまっているというところです。祖父が宮城に来て10年近く経つのですが、もともとは大阪にいました。今でも大阪にいると思い込んでいるようです。また地元が岡山なので、時々岡山に自分がいる事になっています。その辺がごちゃごちゃになっていて、「倉敷に行ってくる」「八尾に行ってくる」「本家(岡山)に行って来る」・・・まあ、とにかくどこにでも歩いて行ける事になっていまして、どこでもドアでもあるんかい!と言いたくなるような都合のいい地理環境になっています。そして体力があるものですから、実際に歩いてしまうのです。歩かないと落ち着かず暴れる事もあるので、母がついていきます。先日私もついて行ったのですが寒空の下、1時間半歩き続け、結局どこに行くつもりだったのか(その日は新大阪駅に歩いて行く事になっていました)忘れて、フラフラになり家につき、数分後には歩いた事すら覚えていない始末。

まあ他にもしっちゃかめっちゃかなことでいっぱいなのですが、この半年間、祖父の不思議な世界観に付き合わされ頭がおかしくなっています。でもおかげで世の中の認知症という問題に対して私も家族も真剣に向き合うようになったのは事実です。この前までしっかりしていた祖父は、毎日何を思いながら生きているんだろう。祖父の目に映っている世界はどうなっているんだろう。そう思うと切なくなってきます。祖父はふざけているわけではなく極めて真剣なのですから。人間なんてモノは贅沢なもので、初めは「命さえあれば」なんて思っていたのに、不可思議な発言を繰り返す祖父を不快に感じたり、怒ったりしてしまうわけです。腹が立つと不謹慎な事も思ってしまうわけです。そして自己嫌悪に陥る・・・。こんな事の繰り返しです。

でもこれはいつも言う事なんですが、祖父が倒れてから発見するまでにかかった時間が短かった(実は話が長くなるのでカットですが、祖母の猫好きが少なからず影響しています)、救急隊員の方の迅速かつ適切な処置があった(これは医療行為だけではありません。受け入れ先が開いていないという問題があったんだそうです。でも必死の交渉で開いていない病院にねじ込んでくれたんだそうです。)、などなど色々な偶然が重なって祖父は助かったのです。同じような状況で亡くなる方もいるのですから、本当に恵まれています。救急隊員の方には心から感謝していますし、分からなくてもいいので、祖父には様々な人たちのおかげで生かされているのですから、頑張って生きてもらいたいです。

私は駅まで自転車で通勤しているのですが、その途中に橋があり、そこにはいつも絶える事なく花が供えられています。何ヶ月か前、雨の日に子供を乗せ運転していた女性が、スリップしたトラックの下敷きになり、親子ともに亡くなるという事故がありました。事故なんて残念ながらよくある事なんですが、その女性は私と同年代で同じ町に住んでいた、もしかしたら何らかの形で以前接点があったかもしれない、と思うと他人事とは思えなかったのです。絶える事ない供花。祖父の事と対照的で、その橋を通るとき非常に切なくなります。

今年は命について考えさせられる1年だったように思います。私もいつどうなるか分からない。毎日悔いのないように頑張らないとなあと思うのです。

他にも色々な事があった気がするんですが・・・、どうも祖父のことが強烈すぎてパッと浮かばないのでこの辺にしておこうかと思います。来年はもう少しブログ頑張っていきたいですね。
by yoshix619 | 2005-12-31 02:31 | 思ったこと。

思い出なのでネタはフレッシュではないかもしれません。「のすたるじー」です。
by yoshix619
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